人気YouTuberヒカルとノアによる衝撃的な「オープンマリッジ」宣言。ネット社会を揺るがしたその発表は激しい賛否両論を巻き起こし、二人はその後、約一ヶ月にわたる沈黙期間に入りました。
世間の憶測が飛び交う中、再びカメラの前に座った二人が交わした対話は、世間の炎上や同情論が捉えていたものとは全く異なる、遥かに複雑で驚くべきパートナーシップの実態を浮き彫りにしました。
この記事では、彼らの会話から見えてきた、従来の結婚観を根底から覆す4つの真実を深く掘り下げていきます。
1. 見返りのないリスクは負わないヒカル:愛情さえも「ビジネス」で判断する
ヒカルが夫婦での動画共演を「もうやめる」と一方的に決断した背景にあったのは、感情的なもつれではありませんでした。それは極めて冷静で合理的なビジネス判断でした。彼が挙げた主な理由は以下の通りです。
- 世間の「ノイズ」という事業リスク: 「ノアちゃんかわいそう」という世間の同情論が生み出す「ノイズ」が、ヒカル自身が関わる会社にとって純粋なリスクであること。
- 収益とリスクの不均衡: 夫婦動画から得られる収益は会社全体から見れば「微々たるもの」であり、そのリターンのために会社の代表であるヒカルが巨大な風評リスクを背負うのは「割に合わない」こと。
- ノアの保護という名の損害管理: さらにヒカルは、ノアを守ることを一種のダメージコントロールとして位置づけ、「一緒に沈んでいく意味はない」と語り、彼女を巻き込むことに実利的な目的がないと判断したこと。
ぶっちゃけめんどくさいんですよ、俺からすると。
これは単に夫婦の問題をビジネスで捉えるだけでなく、インフルエンサー「ヒカル」という事業体が、私人としてのヒカルのアイデンティティを完全に飲み込んでいることを示しています。彼にとって、結婚生活さえも一つの事業部門であり、そのKPIは収益とリスク管理なのです。
2. 「可愛い奥さん」の仮面を脱ぐ:”被害者”ではいられないノアの覚悟
一方、ヒカルの決断にノアが感じていたのは、「捨てられた」という感覚でした。二人で覚悟を決めて炎上の嵐を乗り越えたはずなのに、彼だけが一方的に船を降りてしまった。その決断は、彼女にとって「裏切り」に等しく、オープンマリッジ宣言そのものの意味を問い直させるものでした。
彼女を追い詰めていたのは、世間が求める「可愛い奥さん」という役割を演じることへの計り知れない心理的プレッシャーでした。「もう限界だったんです」と語る彼女は、偽りの自分を続けることに疲弊していました。
この1ヶ月で彼女が決めたのは、ヒカルに守られる「被害者」ではなく、対等なパートナーでいるための「覚悟」でした。それは、ホストクラブに通うことなども含めた「ありのままの私」を隠さずに見せ、たとえ批判されようとも偽りの仮面を脱ぎ捨てるという決意でした。
彼女の決意は、ヒカルが定義した「守られる対象」という役割を拒否し、自らもリスクを負う「共犯者」となることで、初めて関係性の主導権を握り返そうとする、力強い意思表示だったのです。
何のために炎上したん?
この問いは、彼女の痛みと、前に進むための強い意志が込められた叫びでした。
3. 結婚は「夫婦漫才」である:好きを超えたエンタメとしてのパートナーシップ
対話の核心で見えてきたのは、彼らの関係が伝統的な愛情や「好き」という感情を基盤にしていないという驚くべき事実でした。ヒカル自身が語るように、彼らのパートナーシップは「夫婦漫才」に近いエンターテインメントとして機能しています。
彼らは、世間の常識から逸脱することをお互いに楽しむ「いびつな共犯者」なのです。ヒカルの「浮気」とノアの「ホスト通い」は、お互いの欠点を認め合うことで「お相子」となり、その危ういバランスの上で彼らの掛け合いは成立します。離婚話さえも関西人特有の「ノリ」やジョークに変え、観客の反応を楽しみながら、この奇妙な物語をパフォーマンスとして昇華させているのです。
好きとかっていう感覚でそもそも結婚したわけじゃないから。
この言葉は、彼らが恋愛感情とは異なる次元で結びついていることを明確に示しています。
4. 5000万円のシャンパンタワーが示す価値観の断絶:同じ景色を見ていない二人
彼らの価値観の根本的な断絶を最も象徴するのが、ひめかの誕生日にヒカルが贈った5000万円のシャンパンタワーのエピソードです。
この常軌を逸したプレゼントについて、ヒカルは「自動販売機でジュースを買うくらいの感覚」だったと語ります。彼にとってそれは、特別な感情を込めた行為ではなく、日常的な消費活動の延長線上にありました。しかし、それを受け取ったノアは「死ぬほど嬉しい」と感じていました。彼女にとって、それは人生で最も心動かされた出来事の一つだったのです。
同じ一つの出来事を経験しながら、二人が見ている景色は全く異なっています。この絶望的なまでの価値観の断絶こそが、彼らの「夫婦漫才」のエンジンなのです。ヒカルの常軌を逸した行動(ボケ)と、ノアの常識的な感情(ツッコミ)の衝突が、彼らのコンテンツの核となるスリルとエンターテイメントを生み出しているのです。
さいごに
ヒカルとノアの関係は、伝統的な意味での「夫婦」というより、二人が共同で執筆し、主演するスリリングな公開「物語」と言えるでしょう。最終的に彼らは、「月1回」のペースで動画共演を続けることで合意し、エンターテイナーとしてこの物語を継続することを選択しました。
彼らの物語は、炎上さえも燃料に変える「夫婦コンテンツ」という新しいモデルを提示しています。プライベートな愛情の静かな崩壊が後を絶たない現代において、公の場で衝突を演じ続けるこの関係は、皮肉にも最も持続可能な形なのかもしれません。彼らの物語がどこへ向かうのか、我々はただ見守るしかありません。そして、彼ら自身がこの物語に添えた、ただ一つの重要な注意書きで締めくくりましょう。
決して真似しないでください。笑



